一如会 駒澤大学高等学校

ベトナム・フエ植樹ツアー参加記録/浦 敏之

第一部 ホーチミン市

第二部

2011年9月16日(金)朝7時に成田空港に到着すると、連休を利用して海外旅行する人でカウンターには長い列があった。東日本大震災の大自粛ムードも解禁となり日常生活がもどりつつあるということだろうか。9時20分にベトナム航空機(VN951)に搭乗した。10時30分離陸し、いよいよベトナムだ。イオン環境財団主催で9月16日(金)~9月21日(水)までの4泊6日の予定で、南部にある首都ホーチミン(旧サイゴン)と中部の世界文化遺産の街フエとホイアンを訪ねる。30分ほどでホーチミン市に到着するとのアナウンスがあり、徐々に降下が始まりいよいよベトナムである。

タンソンニャット国際空港(ホーチミン空港)に着陸し、荷物を受けとり、ガイドのクンさんの案内でバスへ。気温32℃とのことで、蒸し暑かった。一路ホテルに。

「ベンタイ市場」

市場の入り口付近にはタクシーやバイク、シクロが客待ちをしている。市場の中は小さな店がびっしりでかろうじて通路を確保しているようだ。雑貨、小間物、衣類を売る店が何軒も競っているが商売は大変だろう。食料品売り場には妙なにおいが漂い長居はできない。物は豊富にある。果物屋にはうまそうな品が並ぶ、竜眼、パパイヤ、ドリアン等々。米屋を覗くと全て米は長粒米である。花屋には色とりどりの花が売られていて南国の豊かさを思う。

市場を出て10分ほどでドンコイ通りに着く。この通りにはヨーロッパの有名店が並び、高級感が漂う。市民劇場があり、英国のバレーを上演していた。我々が集まっていると突然物乞いをする青年と子連れの女性がきた。

「統一会堂・戦争証跡博物館」

「統一会堂」は南ベトナム政権時代の旧大統領官邸である。日本でよく知る大統領はグエン バン チュ-(阮文紹)、副大統領はグエン カオ キ(阮高祺)であった。彼らの失脚後の1975年4月30日サイゴン陥落となり、ベトナム戦争が終結した。

土曜日のため見学者が多く狭い階段は大変だ。執務室や面談室、大統領の居住部分と回った。屋上にはヘリがあり脱出用であったとか。


10分ほどで「戦争証跡博物館」に到着する。門を入ったとたん戦車、航空機ヘリ等々が展示されている。ベトナム戦争時の悲惨な写真と武器を展示している。幾多の戦争が繰り返されて今日の世界が成立しているが今日もどこかで悲惨な戦闘が繰り広げられている。平和な日本に生活していると悲惨な目に合っている人々が莫大な数であることを忘れている。戦争は過去のこと、遠い国のこととどこかで心の隅に追いやろうとする自分がいる。それはそれは危険なことである。日本が戦争に加担する状況がないとは言えない。それよりかなりの確度で危険な状況が見え隠れする。このことは常に心にとめ、過去と現在の悲惨な状況に目をつむってはいけない。


中国を旅すると日中戦争、太平洋戦争をテーマにした博物館があり、逃げるわけにいかないので、一つ一つ展示を観るが本当のことなのか、日本人がこのようなことができたのだろうかと思い、心の痛みを感じながら進む。ベトナム戦争でもこんなことを人間ができたのかと思う冷酷残虐な行為があった。1960年代から1975年までは私の青春時代で、日本でもベトナム戦争反対のデモがあり、小田実のベ平連運動が記憶にある。ベトナム戦争の反戦歌も流行った。このようなことを考えながら展示をみたが、3階にはこの戦争で活躍した日本人カメラマンの作品が特別に集められ、日本語の説明も付記されていた。本館の外にある当時の刑務所の様子もひどいものであった。奥の部屋にひときわ高く研ぎ澄まされた刃をつけたギロチン台があり、何人の人の命を奪ったことだろうか。

心重くバスに乗り、フランス占領当時の1890年に建てられた「聖母マリア教会」にゆく。入場はできなかった。東側にある「中央郵便局」に行く。入り口近くで絵葉書を売る女性につかまり7種25万ドン(1千円)で購入した。現役の郵便局であるが、天井が高く、フランス風の立派な建築で中にはカウンターがあり、通常郵便業務がされている。正面の上方には『ホーチミン(胡志明)』の肖像画が掲げられている。入り口左右の上方には大きな地図がある。左の階段を上ると土産物屋である。土産物屋の主人が我々の顔を見て、サービスのためにか竹琴で「上を向いて歩こう」を演奏した。